こんにちは。
最近は、週に1日(だいたい土日のどっちか)は研究関連のことをほとんどせずに頭をリフレッシュすることを心がけています。
精神面や体力面も考慮すると、それが結果的には効率が良くなると考えられるからです。
とは言ってもまだまだ休憩の取り方がへたくそで、プレゼンなどの準備がぎりぎりになり週7出勤してしまうことも多々ありますが、、、、笑
それでかえって平日のパフォーマンス落としてしまったら意味ないのでね、気をつけます。
そんなこんなで週1ぐらいでブログのほうも更新したいと思ってます。
実は南米の記事のほうがアクセス数伸びるので書きたいのですが、それ以上に感情系の話しがちっていう笑。
あ、別にまだ広告とかつけてないので、全然見てくれて大丈夫ですよ笑。
では今日もよろしくお願いします。
タイトルの件です。
いきなりですけど、とても平和で、サービスが発達してて、選択肢も多く、最悪どんな形であれ生きていけそうな日本で、なぜ人々の幸福度が低いのでしょうか?
世間では日本人は働き方がどうとか、真面目過ぎるとか、几帳面すぎる、などなど、いろんなことが言われてますね。
僕もそれらも要素ではあると思うんですけど、
世の中には、好き好んで一般的にはブラックと呼ばれる働き方をしたい人もいると思うし、
僕的に大半の人が真面目じゃないので真面目なことってかなりアドバンテージじゃないですか?
だからそのように働いたりすることで幸福になる人もたくさんいるんだと思います。
そういう意味で、働き方を変えるとか、根本的な解決策ではないような気がします。
では、なんで幸福になれそうな日本でなかなか幸福になれないのか。
僕は、自分の意志で行動しているかが重要だと思います。
いやいや、俺も私も自分の意志で行動してるよ!ってみんな思うと思うんですけど、
ただの意志(動く動かない)だけでなく、その行為に納得したという責任の伴う意志が大事なのかなと思います。
この責任というのがポイントだと思っていて、自分の意志で行動していないうちはどうしても人のせい、社会のせいにしてしまいがちだと思うんですね。
僕もつい1、2年ほど前まではそうでした。。。。
大学2、3年生の間までは、親や学校、サークル、バイトという、自分が所属するものに責任を持ってもらったなかでの自由を謳歌させてもらっていました。
先人が作ってくださった枠組みがあるなかでの自由で、自分は「自由だ~!!(犬井ヒロシ風)」と勝手に思っていました。
ところが3年生の後期に「研究室」というものに所属することになったとき、「俺の自由はどこ行った?」となってしまったわけですね。
なんで今まで自由だったのに、急に毎日仕事を強制されないといけないんだ??という謎の反抗期を迎えます笑
理系はいずれ研究室に入るということがわかっていたし、その中で学部や学科選択をしていたので、自分のこれまでの選択の結果そうなっているのにもかかわらず。
なんだこの境遇は!!!
と、勝手にその道を選んだのに、何かに向かって反抗していたわけです。
自分の選択に、覚悟がまだまだ足りなかったんですね。
言い換えれば、自分の選択に責任を持っていなかったとも言えるかと思います。
そんなことにも気づかず、自分の好きなことだけをして生きている(と当時は思っていた)YouTuberなんか、羨ましいなぁ、
なんで俺は自分の好きじゃないことをやっているんだろう?
好きなことで生きている人がこんなにいるのに。
大学辞めて、好きなことだけやって生きていこうかな、
そんな気持ちになったこともあります。
ですが、そうやってYouTubeなど漁っているうちに、その人たちが動画の裏でやっているとんでもない努力を知りました。
クオリティーの高い動画を、毎日のようにあげないと生き残れない世界。
好きなことで生きていくなど、簡単に言えることじゃない。
その生き方に責任を持った行動があってこそ、そんな生き方ができるんだと気づきました。
並大抵の覚悟ではできないことです。
自給自足の農業がやりたいことなら別ですが、人からお金をもらいたいなら、世の中に価値を生み出さないといけない。
ここまで考えて、自分のこれからの行動に責任を持って初めて、本当の「自由」が得られるのだなと思いました。
今までは社会が守ってくれたけど、今後はもう大人なので、自分自身でなんとかやっていくしかない。
枠組みのなかでの自由は、自由そうに見えて、周りからの制約がありますし、逆にいざとなったらその周りに責任を押し付けることができました。
その、制約に不満を言うというのが典型的なパターンです。
心のどこかで「誰かにやらされている」という気持ちがあるので、不満を言ってしまうのだと思います。
しかし、真の意味で自由になりたければ、その行動は他の人が保証するもの(すなわち責任を押し付けることができる「誰か」がいるもの)ではなく、自分が保証するものでなければならないかと思います。
昔の僕のように、今、自分の境遇に不満を言っている人はどうでしょうか。
自分の選択に責任を持って生きれているでしょうか。
誰かに生かされてないでしょうか。
「忙しい」、「こんなことやりたくない」、「だるい」
そこまでして、なんでやってるんですか?
不満を言わずにやっていける、他のやりたいことから逃げてないですか?
あんまりやりたくないことでも、「卒業するため」や、「お金を稼ぐため」と考慮したうえで、
自分でその道を選んだなら、ポジティブにとらえられるはずだし、どうせやるなら前向きにやらないと、逆に「何の時間なん?」ってなると思います。
そこでやると決めたなら、絶対にプラスにしてやると腹をくくったほうがいいです(と、昔の俺にも言いたい笑)。
正直、
変えたければ変えればいいし、やめたければやめればいいんです。
ずっとやっている人は、「やる」という選択肢を常に選んでいるにすぎないので、「やめる」という選択肢もどこかにあるはずです。
そこでやめないのが、自分の意志なのかどうか、そこが重要だと思います。
やめない理由が自分起源じゃないなら、やらされている→幸福じゃないということに繋がってしまいかねないです。
自分が何かをやることによって、人が喜んでるのがうれしいというのは、そういう自分の習性を理解したうえで自分のためにやっていることだと思うので、それは良いと思いますよ。
ただそれによって人が確実に喜ぶとは限らないので、あんまり他人の評価を軸にしないほうがいいかと個人的には思いますが。。。。
これは僕が平和な日本で生まれて、飢えて死にそうになったこともないので言えることなのかもしれないですが、
自分の人生に起こりうるたいていのことは良くも悪くも自分のせいだと思ってます。
やはり今の境遇のほとんどは自分の一つ一つの選択の結果なのだと。
そして、そう思って生きるのが、幸福に生きる一つの方法だと思います。
とは言っても、最初はなかなかそんな気持ちになれないと思うので、僕流の考え方をお教えします。
まず、「やりたくない」って思うことが出てきたときに、ふと立ち止まってみましょう。
私・俺なんでこれやってたんかな?って。
やらされてる?自分でやってる?
正直、たいていのことは結局はやるしかないパターンだと思います笑。
そのやるしかないことを、やると決めたなら、こじつけでも全然いいと思うんで、
やるメリットをポジティブに考えましょう。
これをやったら、○○に強くなる、他の人よりも○○ができるようになる、上司に気に入られて今後の仕事がスムーズになる、話のネタになる、、、とかです。
そしたらやりたくないことが世の中から消えます。
マジっす笑。
実は私、今は生活においてやりたくないと思うことがほとんどありません笑。
ポジティブ変換マシーンと化してしまいました笑。
どうせやるのに、いやな気持ちでいる時間が一番無駄だと思うので。
上のように考えてもやりたくなかったら、それをやっても幸せにはなれない可能性が高いので、やめたほうがいいと思います。
そう、僕の提案する方法は、超シンプル「やりたいことしかやらない」
やりたくないことは、やらないか、やると決めた時点で、やりたくしているので、やりたくないことをすることはありません。
ふざけてるようでマジで言ってます笑。
複雑な現代社会を生きていると、
たまに、笑っちゃうぐらいきつい状況になる事ないですか?笑
思わずきつすぎて笑いがこぼれてしまうような笑。
何年も生きてたら、人それぞれ、山場みたいなときが来ると思います。
僕の例を挙げますと、大学4年生の後期に70日間連続で13時ごろにネズミ24匹に乳酸菌をシリンジ(液体を注入するやつ)で1匹ずつ捕まえてあげてたんですね。
もちろん休日もです。
さすがに毎日2時間近くネズミに取られたし、休日に関してはそのためだけに行くこともあったのできつかったのですが、
そこで僕のスーパーポジティブシンキングが発動しまして、
「こんな経験してるやつ、世界に数えるほどしかいないんじゃね?」とか、
「日本で経口投与ランキング50位以内には入ってる」
「農学部の連続通学記録を樹立した」
などという、こじつけを自分の中で行いまして、最終的には楽しんでやってましたし、自分で言うのもなんですけど、日に日に上手くなりすぎて、他の研究室の人に教えてほしいと言われて教えてたほどです笑。
で、これが貴重な経験だったというのは本当で、地元で中学・高校の友達や先輩に話したら新鮮すぎるのかめちゃくちゃ笑いとれます笑。
あの時もしやってなかったら、大卒という称号を得られなかったかもしれないし、院試に受かっていた僕的にはやるしかなかったんですよ笑。
こんな不真面目だった僕でも、その追い込んだ結果、学会に連れて行ってもらえたし、その会場だった静岡の「さわやか」という至高のハンバーグ屋さんにも行って、なかなか行けない静岡じゃないと食べれないハンバーグを食べました。
やると決めたら、楽しんでやるのがいいし、楽しんでやってたら、あとで何かしら面白いことが起きるもんです。
楽しんでやってないと、そういう面白さにも気づけなくて、地元の人にもシリアスにしゃべっちゃってたかもしれないですね。そしたら笑いなんて取れないです。
ただのガチな相談になっちゃう笑。
気持ちの持ち方でいろいろ変わるものですね。
大学3年生の頃は脳みそが自転車のチューブでできていたので、遊びモードからなかなか切り替えられなかったんですけど、
今は冷静に考えて、今まで世の中になかったものを(運が良ければ)生み出せる研究というものも楽しいし、モノによっては社会に与えるインパクトも大きいのかなと思います。
研究が好きとは言っても、研究だけで生きていくにはお金をもらわないといけないし、それが甘くないし大変であることは確かです。
でも本当にやりたいことなら、自分でいろいろ考えて(お金とか生活とか)やっていくしかないかなって思います。
そこでもし失敗しても、自分の選んだ道なので違う方法で責任とって生きていかないとなと。
歌手や漫画家、お笑い芸人、YouTuber、アスリートなど、裏ではとんでもない努力をして、好きなことで生きている人たちがいます。
残念ながらそんな甘い世界でもないので、目指している人全員が歌手(音楽活動だけで生計を立ててる人)になれるわけではないんですけど、
僕たち一般人も、マインドはそうでないといけないなと感じます。
自分の選択に責任を持って生きていくというマインドです。
営業マンは、プロ営業マンであるべきだし、掃除のおばちゃんは、プロ掃除おばちゃんでないといけないなと思います。
てか、そう生きたほうがイヤイヤやるより絶対、楽しいし幸せ。
北○道大の北部食堂の昼間のレジ打ちのおばちゃんのプロフェッショナル感ヤバくないですか?笑
僕ずっと尊敬してるんですよ。あの高速レジさばきはメッシでもできないわけですから。
あの人もあの仕事するために生まれてきたわけではないと思うんですけど、
確実に、今はあの仕事に誇り持ってると思います。
対して、N学部の食堂のおばちゃんは僕らにも聞こえるぐらいへらへら笑ってるじゃないですか。
あれで仕事できてるならいいんですけど、レジでかなり人待たしてるときもあるんで、一回、北食で修業してきてほしいです笑。
まあそれは冗談ですけど、いろいろ言っちゃったんで今日のまとめとしては、
-
本当の自由には責任が伴う
- 自分の選択に責任を持って行動すると幸せ
- やりたくないことは、やらなければいい(やりたくないことも、やるしかないと選択したなら、自分でやりたくなるように工夫する)
です。
やりたいことをやって生きていくのは大変ですけど、幸福です。
今回のこの記事に賛同してくれても、そうでなくてもどっちでもいいんですけど、
「楽しんで生きたほうがいい」ということに誰も異論はないと思うので、自分が楽しくなるように、自分でしていきましょう。
他人があなたを幸せにしてくれる年齢でもそろそろないんでね、、、
ではまた!