オオブログ!

答えのないことを考えるのが好きな大学院生のブログ。

ほとんどの勝負は、勝負どころじゃないところでつく説

勝負がある世界には、「勝負どころ」という言葉がある。

 

広い意味では、対戦しているもの同士の振る舞いによって、勝敗が決定的となる瞬間や、流れがどちらか一方に傾く瞬間のことを指すと思う。

 

本来なら、勝負どころは、球技だったら決勝点が入りそうなシーンであったり、研究だったら新発見の結果が出そうな瞬間のことだ。

 

しかし、多くの場合、それを迎える前に大方の勝負はついているのではないかと感じることがある。

 

高校の時、野球部に所属していたのだが、他校と練習試合をすることがあった。

 

その時、試合前に、カバンや靴をテキトーに並べるチームには、負ける気がしなかった。

 

もちろん、カバンや靴を並べることは、野球の技術とは関係ない。

 

だが、他のスポーツもそうだが、野球は試合中に細かいことに気付ける方が勝ちやすい。

 

ピッチャーの牽制のクセ、変化球のタイミング、ランナーの仕草、守備位置、バッターのスイング、

強いチームはこれらを見て常に勝率が高くなる様に戦い方を変えていくからだ。

 

カバンや靴がバラバラでも気づかない、もしくはどうでもいいというぐらいズボラでは、プレーの質にもこだわれない、練習もその緻密さの程度しかやってきていないということだと思う。

 

なぜなら、カバンや靴もきちんと並べられないのに、練習は厳しくやるという組織は、厳しさの基準が時と場合によって違うことを示しており、練習中にほころび(甘さ)が生じる可能性が高いからだ。

 

大学の理系の研究室を見てみるとどうだろう。

 

研究なのだから、本当は「科学」で勝負するものだ。それは新規の発見だったりするだろう。

 

しかし、昔の自分を含めて、多くの学生は、何時に研究室に来るかどうか(または週何日来るかどうか)の勝負になっているのではないか。

 

僕の研究室は9時スタート(オンライン可)なのだが、よく遅れてくる後輩がいる。

 

それで天才的に何かができればいいのだが、今のところ普通なので、作業時間が少ない分、進捗も遅い。

 

僕は8時半ごろにはいて、9時から作業を始められるようにしていたり、もう作業し始めたりしている。

 

雪のせいでは徒歩通学しないのと同様に(雪に先手を取られるな - オオブログ!)、9時スタートのルールに関係なく、研究がしたいから大学に行く。

 

僕たちの相手は、9時スタートのルールではなく、「科学」なのだ。

 

だが、天才でない限り、その科学の勝負の土俵に立つには、まず作業時間を確保する必要がある。

 

指導教員は、作業時間を確保させるために9時ルールを設けたと思うのだが、

後輩はその本質を見失い、9時に来れるか来れないかの勝負になってしまっている。

 

野球の練習試合で言うと、カバンや靴を並べられないチームのような状態だ。

 

すなわち、勝負どころじゃないところで勝負をつけてしまっているのである。

 

量より質だと言う人もいる。しかし、質を得るには、まず量が必要なことが多い。

 

試行錯誤なくして、クオリティだけ上がってくるということはほとんどないだろう。

 

「量が質を生む」とは林修先生も言っていた。

 

量と言っても、もちろん、闇雲に、がむしゃらにというわけでは質を生むことができない。

 

量をこなすたびに、頭を使って、勝率が高い方に戦略を変えていくということが質を生むと思う。

 

そうして生まれた作業や計画や考察の質の高さが、新たな発見につながっていく。

 

そんな「本当の勝負どころ」での勝負をしていきたい。

 

(【コラム:大学院生の就活に関する僕の思想】もちろん、大学に行く理由は人それぞれで、特に修士は入学してすぐに就活なので、研究だけに集中するわけにはいかないという意見はわかる。正論を振りかざして、研究だけしていたら就活に乗り遅れて損をするということもあるから、研究ができないのも事実だろう。じゃあみんなでそんなわけわからんシステム変えようよ、というのが僕の以前からの意見である。これでは何のための修士卒なのかわからない。日本の大学も卒業基準が甘いから企業に舐められていると思う。「ハーバード卒業」は普通のESよりその学生の能力に説得力を与える。日本もそうならないと、いつまでもハーバードのような大学と、それを乗り切った質の高い卒業生を、日本企業は見つけることができない。もう「修士」なんてどうでもいいなら(今も実質的にそうなってるが)、早めにそっちに舵を切って高卒から採用した方がいいと思う。そうしたら優秀な人材を見つけるための採用コストが大きくなると思うが。就活自体が悪いとは言っていない。グループディスカッションも、インターンシップも、いい経験になるし、選考にも重要だと思う。問題は「なぜ修業期間の途中で研究時間を削ってまで就活をさせるのか」ということだ。国産エネルギーも少なく、食料自給率も低い日本が、一時は世界2位の経済大国になれたのは、科学技術の発展のおかげだ。大学での研究活動を軽視した就活制度は、科学技術の発展を遅らせ、日本の将来を危うくすると思う。この状態が続けば今後も日本人は徐々に生活水準を落としていくだろう。生活水準を下げて国産の資源だけで過ごすのか、科学技術で盛り返してもう一度「モノを買ってもらえる国」になるのか、その選択に入っていると思う。ちなみに、先述の後輩は博士進学予定なので就活は関係ない笑。そして余談だが、僕は、本気で気候変動を止めつつ今の人口を支えるには、全世界的に経済活動を緩めないといけない、すなわち生活水準を下げないといけないと思っている。お金は人間が作り出した概念であり、地球資源の有限さとリンクしていない部分があるからだ。この話は脱線するのでまた別の機会にしたい。)

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