異性にマウントを取らせてできた居場所に満足するな(82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ著)#読書録4
先日、大学院の後輩の女の子が薦めてきたとある本を読んだ。
書名は「82年生まれ、キム・ジヨン」。
数年前に韓国で話題となった本である。
自分が読む前から知り合いが何人か既に読んでいたので、少し内容は聞いていた。
主に男女平等に関する問題についてらしい。
読まずともだいたい内容が想像ついた(つもりだった)ので、最初はあまり読む気になれなかった。
自分は個人としては男女のことをフラットに考えていた自信があったので、個人レベルでは男女は平等だったし、
社会レベルでは手に負えないというか、自分の生きていく世界とは無関係な気がして、なかなか当事者意識を持てていなかったのだと思う。
そんな中、後輩の強引な推しで読むことになったわけだが、結果的にはモノの見方や価値観を拡げるうえで読んでよかったと思う。
今回は、本の内容自体と、本からは逸脱するが、ジェンダー意識が若干薄い以前の僕のような日本人がシビアに考えるべきだと感じたことをまとめていきたい。
※今回は、性別については女性と男性の2つにしか触れれていない。
LGBTQに代表される性的マイノリティの方がいることは承知しているが、全ての人に配慮して文章を書くと何を言っているのかわからなくなる(論点が定まらない)ので、今回は女性と男性の話に絞って文章を書くことをご容赦いただきたい。
1.我々が思う平等は本当に平等か
まずは、平等について考えることが大事だと思った。
平等って、「差がないこと・差別しないこと」でしょ?そんな単純なこと、いちいち言う必要ある?と思われるかもしれない。
しかし、実は、差があるほうがむしろ平等と捉えられるケースもある。
男女平等を考えるフォーラムに苦情 参加費が男性4200円、女性3600円 「レストランの料金設定」と弁明 : おかねにゅーす
皆さんは、上の記事のタイトルを見てどう思うだろうか。(ちゃんとした記事は消されていたのでよくわからないサイトの引用で申し訳ない)
男女不平等じゃないか!と思う人も多いと思う。
僕も初見ではそう思ってしまった気がする。
しかし、このフォーラムは飲食を伴う。
そして事実として、男性のほうが女性より平均的によく食べる・飲むということを考えると、「料金あたりの満腹度」は、男性の料金を高くしないと平等にならない。
男性の料金が女性の料金より高いのは、
「料金」という視点だけで見ると、不平等であるが、「料金当たりの満足度」で見ると、平等に近くなっている可能性があるということである。
すなわち、「どの観点から見て平等とするか」が重要になってくる。
ビュッフェや飲み放題形式のレストランは料理やお酒に満足してもらうことが重要なのであれば、男女で料金が異なるのも致し方ないことなのかもしれない。
僕は勝手に、
料金のような平等を、量的平等
満腹度のような平等を、質的平等
と呼んでいる。
これまでは、人々の意識がそこまで追い付かず、量的平等のみにフォーカスしていたことでも、
情報やデータの蓄積、人々の価値観が変化している現代なら、質的平等を目指すべき場面も多くなってくると考えられる。
質的平等すなわち、キャパシティーにあった平等。
頭ではわかっていても実現させるのは非常に難しい話であるが、様々な人がどの側面での平等を一番実現させるべきかを考え行動することが、より平等な社会に近づく一歩なのではないかと感じた。
2.男女で区別する必要はあるのか
ここまでの話を読んで、違和感を持った方もいるかもしれない。
なぜなら、女性にもかなりの量を食べ・飲む人、男性にも全然食べない・飲まない人はいくらでもいるからである。
これは僕も同感で、
先ほど男女で差があった料金も、男女で分けるのではなく、なんらかの規定以上食べ・飲む人(例えばビュッフェなら、お皿5枚以上使う人とか、飲み放題なら5杯以上飲む人とか)のような分け方をしたほうがベターだと思う。
僕は、最高の男女平等は、男女差を意識しなくていい場面が増えることだと思っている(4章でより深く触れる)。
以前はそれが「全員の料金を同じにする」というような方法であったのが、それでは料金当たりの満腹度が人によって違ってくるので、今後は男女に関係なく、食べる人は食べ・飲む人は飲むにしたがって増えるような料金設定もありかなと思った。
ビュッフェや飲み放題はただの例で、このような概念が色んな業界に広がればいいと思う。
3.賃金格差
男女では依然として賃金に差があるらしい。
イギリスのエコノミスト誌が算出した、「ガラスの天井指数」というものがあるらしいので、参照してほしい。
Glass ceiling index | The Economist
Wikipediaによるとガラスの天井とは、「資質又は成果にかかわらずマイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる見えないが打ち破れない障壁」のことで、
本書によると、OECD加盟国で、韓国のガラスの天井指数はワースト、日本は最下位から2番目だそうだ。
ガラスの天井指数は、賃金の男女格差、管理職の女性の割合、教育の男女格差etc...などを総合的に評価したものである。
あまり調べてないのでどういう風に算出したのか不明で、おそらく平均であるが、日本では女性の賃金は男性の賃金より24.5%低いらしい(韓国は女性の賃金が男性より36.5%低い:2018年)。
これには2つの大きな原因があると僕は推測していて、
1つは、同じ職・ポジションなのに男女で賃金差があること
もう1つは、職・ポジションが男女で違うこと
が原因として考えられる。
1つ目のほうは、論外というか、やる意味がわからないので、もしそういうことをしているなら早めに是正してほしい。
女性は出産で休暇をとることがあるとは言っても、男性も育児休暇で休むはずだし、勤続年数や業績が同じなら、差をつける理由はどこにもないはずである。
少し複雑なのは、2つ目の、職・ポジションが男女で違うことだと思う。
先ほどの指数のデータによると、日本の管理職のうち、女性が占める割合は14.9%と、OECD加盟国で下から3番目だそうだ(下から2番目はトルコ14.8%、最下位は韓国14.5%:2018年)。
僕は小中高大と、ずっと男女共学の教育機関で教育を受けてきたが、女性の成績が男性より劣っていたと感じたことは1度もない。
もちろん学校の成績と企業の管理職は全然違うことではあるが、基礎的な学習・任務遂行能力に男女差がないのは明らかだと思う。
そこで男女で管理職の割合が違うのは、女性が出世しにくいシステムになっているからではないかと思う。
僕はただの大学院生で、管理職に必要な能力などわからないが、このような差をなくすために必要だと感じることを、後の章で述べていきたい。
さらに最近、女性の社会進出の研究をしている友達と話していて、企業の管理職よりも難しい問題があることに気づいた。
それは、農業・漁業系(やその他)の、力仕事を伴う業界である。
例えば漁業では、体力を要する漁に行くのはほとんど男性で、女性は港に残って獲れた魚介類を加工したり運送の手配などをしているらしい。
そこに、賃金差が生まれてしまうのだそうである。
事実として、男女に体力の差はあると思う。
そこで無理やり女性を漁に連れて行ったり、男性を港に置いていったりすることが、効率が悪いことは理解できる。
ただ、この差を解消していかなければ、いつまでも女性が我慢というか、生まれた性別が違っただけで何か裏方として生きていくことになってしまうと思う。
自分だけで稼げる業界が他にあるなら、農村・漁村から出ていく女性が出ても致し方ない。
これでは農業・漁業の持続的な発展はまだまだ難しい(農業の自動化とかが進めばわからないが)。母となる女性がいないとその街の人口は増えないからである。
次の章では、女性が彼女らへの 待遇について不快にならないような社会(シンプルに言うと、女性が出世できるシステム)には我々は何をしていくべきなのか、考えていきたい。
4.男女平等へ向けて
産業革命以降、従来の農業のような家族労働から、企業的工場生産に移るにつれて、親のうち1人は工場で働き、もう1人は子育てを含めた家の維持・管理に回ることが効率的であった。
しかし、現代では、洗濯機をはじめ、ルンバのような自動掃除ロボや、食洗器もある。それも、どんどん新しい便利なものが開発されている。
自分が子として育ったとき(観念を培ってきた期間)の、「親」のイメージとは違った働き方になっていくのは当然である。
必要なのは、親のような上の世代の人や、自分たち自身の暗黙の了解を再考し、固定観念をなくすことだと思う。
そのために企業(農水産業含む)、個人としての男性・女性の視点でそれぞれ何が必要か考え、挙げてみる。
- 女性が産休を取ったら、相手の男性も育休を絶対取らないといけない制度
両性あっての子であるのに、女性だけに休職の機会が偏っているのは不平等である。
事実として出産は女性にしかできないので、女性が出産で休んだ後は、育児でほぼ必須で男性が休職し、その間は女性がバリバリ働けるような社会になればいいと思う。
その休職している間の男性の給料が通常時より下がってしまったら、休職せずに働いたほうが経済的に得になってしまう。
そういう経済的理由から男性が働いてしまうと、結局女性だけが出産で休むことになってしまうので、そこは休職時も通常時と同様の給料になれば理想的だ。
- 辞めない前提で採用 or 完全にジョブ型で企業間の再就職を流動的に
以前は、結婚とともに会社を辞める女性も少なくなかったと思うが、
「人生100年時代」と呼ばれるこのご時世に、その概念を持っている人はほとんどいないのではないかと思う。
数年前に、ある医学系の大学で女子受験生の点数を不正に下げていたことが発覚したが、
その理由として、女性は結婚や出産とともに家事に割く時間が増える(増えていたことがこれまでは多かった)ためだと言われている。
しかし、根本的に解決する方法は、採用する際に女性の数を調整することではなく、育児や家事に女性だけが時間を使わないといけない現状にもっとフォーカスし、子どもを持ちながらも両性ともが仕事を続けていける環境を整えていくことではないだろうか。
採用時の人数調整は、その環境を作ることを諦めているようにしか見えない。
これではいつまでも男女共同参画社会などできないだろう。
もう1つ、出産・育児が出世の障壁となるようなら、どんどんそうでない企業に再就職できるような社会にシフトしていってもいいかもしれない。
新卒でランダムに採用し育成するこれまでのメンバーシップ雇用に変わり、仕事に対して専門的で適切な人を割り当てるジョブ型雇用が流行っているらしいが、
育児を理由に一時は会社を辞めてしまった人でも、子どもが成長し落ち着いてきたら専門性を生かして再就職できるような企業が増えてもいいのかなと思う。
そうすれば、企業が新卒育成に掛けるコストも減るし、日本の新卒絶対信仰な感じも薄れていくと考えられる。
- 女性が働きやすい環境
先ほどまでは、結婚や出産後の待遇についての話をしてきたが、
ここではそれ以外で働くときに障壁となる可能性があることについて触れていきたい。
まず、男性である僕が言うので、聞いた知識でしかないが、女性には月1程度で生理がくる。
かなり痛かったりしんどい場合もあるそうである。
しかし、多くの女性が公の場では隠してる?というか、悟られないようにしている風潮があると思う。
これは僕が変態だからとかじゃなくて、言ったほうが楽になる人は、言ったほうがいいのではないか。
男性側もみんなそういうことが女性に起こるというのは知っているし、まともな男性ならイジったりはしないと思う。
何も言わずに(言えずに)、
しんどいのに普段と同じ量や質の仕事をしなければならないのは、働きにくさに繋がる。
だからと言って、本人が言ってないのに周りが察するのも変な話だと思う。
もちろん強制ではなく、言わないより言ったほうが楽になる人だけでいいが、
「いま生理がきててしんどいです」と女性が言えるような環境づくりももしかすると女性にとっての仕事のしやすさにつながっていくのかもしれない。
最近、いくつかの企業では、生理休暇なるものがあるらしい。
このように会社側から寄り添ってくれれば、女性も思い切って休みやすいのではないだろうか。
痛みやしんどさを軽減するとされている低用量ピルを社会にもっと浸透させていくことも効果的な可能性もある。
とにかく、女性の社会進出とともに、このような性別的な事象は必ずでてくるわけなので、それを真っ向から見ずに、見て見ぬふり・暗黙の了解のように扱うのはやめにするべきだと思う。
学校じゃ生理のことは全然教えてくれない。特に男性は、親しい女性から聞く話でしか入ってこない。今はYouTubeなどで解説している方もいるが、もう少し義務教育で触れることで、話題にしやすくなるかもしれない。
1章で、「男女平等は、男女の差を意識しなくていいこと」だと言った。
逆説的だが、時々、男女の差を意識することで、両性への理解が深まり、双方にとって快適な状態を作り出すマインドにつながると思う。
- セクハラの根絶
これはかなり世間でも言われていると思うので、割愛する。
自分は若い女性に変なこと言って楽しむようなおじさんにならないことをここに誓いたい。
- 「玉の輿=幸せ」の価値観をスタンダードにしない
僕が普段接している女性は、大学や大学院まで勉強しに来ている女性が多いので、彼女らは専業主婦になろうとしているようには見えない(もちろんそのような選択肢を否定しているわけではない)が、
世の中には、「玉の輿に乗りたい」と考えている女性も少なくないと思う。
それ自体は何も悪いことではないのだが、その思想がプロパガンダ的に働くことが、他の女性の社会進出を妨げている可能性がある。
厳しいことを言うが、「異性にマウントを取らせてできた居場所に満足するな」ということだ。
もちろんそうさせているのは、今のところほとんど何にも気づいていない男性が作った男性社会のせいだ。
しかし、男性だけでなく、玉の輿に乗りたい女性が、普通に働きたい女性の足を引っ張っている可能性があると感じるのである。
玉の輿だけじゃない。
男性上司に色目を使う女性を僕は何度も見てきた。男性上司が認めているのは「オンナ」としてであって、その女性の実力ではないと推測している。
「私できないんです~」という感じの女性のほうが、普通に自立してそつなく仕事ができる女性よりも、可愛がられてしまうことがあるのだ。
こういった一部の「オンナ」を使う女性のせいで、正攻法で仕事の能力で戦ってる女性がいい扱いを受けられないのは、日本にはびこる非常に大きな問題だと思う。
なので、女性の敵は、実は女性でもあるのかもしれない。
もちろん、女性にそうさせているのも男性なのだとしたら、すなわち、女性が「オンナ」を使わないと居場所ができず、認められないようにしているのが男性なのだとしたら、男性の罪はより深刻だ。
そして、こういうことを女性が言うと、「フェミニストだ!」みたいに叩かれる傾向がある。本来のフェミニストの思想は叩かれるべきものじゃないのに、一部の過激な人たちのせいで世間が敏感になり過ぎていると感じる。
なので、女性が社会進出しても直接的には利益がない、男性である僕が言っていくのは重要だと思う。もちろんそれで日本が良くなれば間接的には利益がある。
5.終わりに
現状の日本は、普通に生活してるだけでかなり男女差別的な国だということを、もっと意識するべきだ。
マッチングアプリや相席居酒屋で男性が有料で女性が無料なこと、「女性専用車両」、ほぼ女性にしか使わない「寿退社」という言葉、「女流棋士」や「女医」といった職業にあたかも性別が関係するかのような言葉などなど、当然のように歪んでいることは数えていたらキリが無い。
日本に研究に来ていたベルギー人に、「日本にある、女子大って何のためにあるの?」って素朴な質問をされて、全く答えられなかった。
本当に何のためにあるのだろうか(笑)
昔は女性の教育を推進する目的があったのかもしれないけど、共学の大学が溢れている現代に存在する意義は正直あまりわからない。
しかし女子大ではないが、ある時、女子高出身の人と話すと、自分に娘ができたら絶対に女子高に行かせたいと言っている女性が複数人いたことに驚いた。理由までは怖くて聞けなかったが。
社会にはほぼ均等に男女が存在するから、人格が形成されるであろう中高時代からその割合に慣れていたほうがいいのではないかと思うのは、僕だけだろうか。
こうした生活の奥深くに浸透している差が、生まれた時から日本人には刷り込まれていることを意識して、自分たちの子ども世代にはもっといい社会を経験させられるようにしていきたい。
ではまた!
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