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「サービスが行き届いた国」はある程度の同調圧力によって成り立つ ミネソタの歩き方017

アメリカ・ミネソタ州に滞在して、4か月以上が経過した。

 

以前の記事で、日本とは少し違ったアメリカの国民性に触れた(アメリカ人は温かくもあり、冷たくもある ミネソタの歩き方003 - オオブログ!

 

あの記事から少し間を置いて、自分の考えをより言語化できてきた気がするので、ここにまとめておきたい。

 

日本よりも、アメリカのほうが街中における知らない人との会話はある。

そういった会話によって何でもない日常が盛り上がるし、一見それは温かくも感じる。

 

しかし彼らには、日本で感じられるような「親切さ」はない。

 

先日グランドキャニオンに行くためにラスベガスに5泊していたが、ホテルでホテル内にあるカフェの電子レンジを1分ぐらい使いたいだけなのに貸してくれなかったり、電子レンジ貸出しは1晩15ドルとか言われたり(結局使わなかったけど)、朝4時半ぐらいに出発するからチェックアウトの支払いを前日にさせてほしいと言っても融通が利かなかったりと、

ホテルのようなサービス業でも「おもてなし」ではなく、あくまで「仕事」との捉え方が大きいのではないかと思う。

お願いを言うと、些細なことでも追加で料金を取ろうとしてくる。

 

一方で、日本のホテルだったら、そもそも共用の電子レンジがあることもあり、気が利いている。

そういえば以前、集中管理の冷房しかなく「部屋が寒い」と電話したら電気ヒーターを貸してくれたこともあった。

日本のホテルには客が困っていたら可能な限りのおもてなしをするという精神が備わっているのではないかと思う。

 

そしてこれは国民性とは別問題だがホテルの価格帯も日本のほうが断然安い。料金当たりのサービスで考えると、日本は圧倒的にサービスが良いということになる。

 

もう言い古されていることだが、世界の中では珍しく、日本では電車が1,2分遅れただけで車掌は謝るし、落とし物は交番に届けられる。

 

なぜ日本人はこんなにも、与えられた役割以上の仕事を追加の報酬もなく、やることができ、アメリカ人はできないのか。

 

ここまで日本をポジティブに、アメリカをネガティブに書いたが、本当にそうだろうか。

 

例えば、仕事に対してきちんと報酬をもらわず、それを曖昧にする習慣があるから、日本でサービス残業のような問題が生まれてしまうのではないか。

 

今回は、この日本人の良すぎるサービス精神の1つの要因として、空気を読む文化a.k.a.同調圧力」を挙げたいと思う。

 

なぜ同調圧力を挙げたかというと、アメリカにおけるこの時期の人々のマスクのつけ方に他人に同調する姿勢を全く感じず、多様な考え方を尊重する姿勢を感じたからだ。

 

アメリカにあるのは、マスクを「してもしなくてもいい」という風潮だ。

日本にいると、MLBの観客席の映像などを見て、アメリカ人全員がマスクをしていないようなイメージがあるかもしれないが、そんなことはない。

 

実は、街にはしている人もしていない人もいる。2:8か1:9ぐらいの割合だろうか。

ただ、していない人を煙たがったり、している人に対して、そこまで警戒する?と嘲笑うようなこともない。

 

なぜかというと、おそらく他人にそこまで興味がない。人が何をやっているかなんてほとんど気にしていないのだ。

 

これは人種のサラダボウルと呼ばれるほどの多民族国家が生み出した風潮なのかもしれない。

宗教も食文化もいろいろ多様なので、他人がしていることをいちいち気にしていたら途方に暮れてしまうだろう。

 

こんなことを言いながらも、僕はアメリカのなかでは日本人すぎて、周りがマスクをしているとプレッシャーを感じてマスクをしようとしてしまう。

例えば、僕がマスクをしていないときに、マスクをしている人が話しかけてくると、「ああ、僕もしないと」と焦りを感じてしまうのである。

 

また、僕の母が家のなかでもマスクをしたり、父とソーシャルディスタンスを取っていると聞いて、そこまで警戒しなくていいだろと言ってしまった。

警戒するべきレベルに正解などないのに、あたかも周りがしているレベルのことが正解かのように、母の考えに対して干渉してしまっている自分に気づいたのだ。

 

このように(僕一人の例を日本代表のように使ってしまうのもよくないが)、知らず知らずのうちに、日本人の個人には、周りがしていることと同じぐらいのことをすべきだというバイアスがかかっていると感じる。

 

また裏を返せば、集団から個人に対する要求として、「言っていなくてもこの程度はやってくれよ」という圧力をかけてしまう文化なのだと思う。

慣れ過ぎて当事者がそれを圧力と捉えていないことがほとんどだが。

 

日本ではおそらくそういった文化も引き金の1つとなり、コロナ禍でも高い衛生基準を保つことができ、致死率が高いとされる高齢者人口が多いのにも関わらず、世界のなかでは驚くほどに新型コロナウイルスによる死者を増やさなかった。

 

全体のためなら個人レベルの煩わしさを我慢することができる。自己犠牲の精神は誇るべき国民性だと思う。

 

しかし、それと同時に、この同調圧力がもたらすのは「自分の意思で行動する」ことの制限ではないか。

 

アメリカにいる、マスクをしている人としていない人は、それぞれ自分の考えがあってマスクをするかしないかを決めていると思う。

 

何か情報を得たのか、高齢者とよく触れ合う環境にいるのかわからないが、個人の意思で行動を決めていると感じる。

 

一方で、日本人はほぼ全員マスクをしているが(5月からアメリカにいるので違ってたらすいません)、

オオブログ調べによると、オミクロン株流行期の60歳未満の新型コロナウイルスによる重症化率・致死率ともに、季節性インフルエンザと変わらないということのようだ。

(参考:https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000964409.pdf)

(※重症の定義がコロナとインフルで違うこと、および未受診は換算されていないことには注意が必要)

 

60歳以上は重症化率・致死率ともに高いので、引き続き警戒は必要だと思う。

 

しかし、自身が60歳未満かつ、日常生活で60歳以上の人と触れ合わない人に関しては、インフルエンザと同じぐらいの警戒度でいいのではないかとも捉えられる。

コロナ以前、インフルエンザが流行する時期にマスクをしていなかったのであれば、今マスクをする絶対的な理由はないのではないか。

 

僕はこのデータによって、マスクを取れと言いたいわけではない。

周りに合わせるのではなく、自分で情報を掴み取り、自分で判断するべきではないかと言いたいのだ。

その結果として、マスクをつけるならそれで全然いいと思う。

政府や、自分が給料をもらっている企業などからルールが示されている場合は、従うのが理にかなっていると思うので、そういった理由でつけているのであれば良い。

 

僕が間違っている可能性も少なからずあるので、最新情報は常に確認していただきたい。

ただ空気に従ってマスクをつける風潮はやめていけたらいいなと感じる。

 

サービス精神の話に戻ろう。

日本の同調圧力が、コロナ禍における高度なマナーを作り上げてきたと述べた。

 

そしてこの圧力のおかげで、日常での高度なサービス精神も培われていると思う。

 

上司か客あるいは同僚からかはわからないが「これぐらいはやってくれるよね?」という圧力、そして周りのレベルに合わせて当然、違うことをしてはいけないという個人の認識がどんどんより良いサービスを形成していった。

 

そのおかげで、安くて早くて美味しい国ができたと思う。

 

アメリカの道路工事は、コメディーかと思うぐらい何か月もやっている。

しかも面白いのが、「毎日何かは、やっている」のに、何か月もかかっているところだ。

 

おそらく与えられた給料が同じなら、どれだけ頑張っても同じだと思っているので、ゆっくりゆっくりやっているのだと思う。

そして、道路を封鎖しているくせに、恥ずかしげも申し訳なさもなく毎日やっている。彼らには周りからの圧力は(ほぼ)ない。

 

また、僕の住んでいるアパートメント(日本で言うところのマンション)では、18階建てでエレベーターが2つあるが、最近1つ調子が悪くなってしまった。

アパート管理者からのメールによると、修理に数か月かかるらしい。

 

日本のエレベーターで工事のせいで数か月動いていないものは見たことがない。数か月もあれば新しいエレベーターを作れるぐらいだと思う。

 

それは、日本人はおそらく同じ給料でも、全力を尽くしたり、そもそもの納期の設定を最短にする努力をしているからだ。

 

アメリカなら施工期間を短くしてほしければ追加料金を取るのだろう。

 

僕は日本的なサービス精神のほうが好きだ。

根源には空気を読んで周りを気にしてなどという同調圧力があるのかもしれないが、お金で動いていないぶん、親切さや温かみを感じる。

 

しかし、良い仕事を正当に評価するという観点では、もっと日本のようなサービスにはお金を払うべきなのかもしれない。

 

「サービスが良い」ということは裏返すと、お金を払っている以上に人が働いているということだ。つまり釣り合っていない。頑張っている人が十分な対価をもらわずに頑張っていることになる。

 

労働者も家に帰れば消費者だから、これが経済が上向かない理由の1つにもなるのかもしれない(※あくまで想像です)。

 

まあ経済を上向かせなくても幸せを感じられるならいいと思うし、アメリカ的な殺伐とした感じにもなってほしくはない。

 

資本主義社会のど真ん中アメリカでそのようなことを感じた、25歳最後の月だ。

 

ではまた!

 

アメリカ滞在記↓

higassan.hatenablog.com