アトラクションとしての山、生態系としての山
山に登りたい。ただ、「登るだけ」に対しては興味が薄くなってきている自分がいる。
大学生のころ、1000~2000 mほどの山を登り始めた時には、登頂することへの達成感と、壮大な景色に魅了された。
特に、寒い北海道では森林限界となる標高が低く、2000 mでも本州における3000 m級の景色が見えるという話もある。今でも、山に登ればその景色に心躍らされることは間違いない。
しかし、大学生のころは、その登る山には、木があり、川があり、岩があるのだという、自然についてはあまり着目してこなかった。
もちろん、紅葉や緑は綺麗なので、木があること自体は認識しているのだが、「木」として見ていなかった。一つの風景として見ていたのだ。「木を見て森を見ず」の逆で、「森を見て木を見ず」とでも言えるかもしれない。
そういった登り方を否定しているわけではない。だが、大学院に進み、研究で生物について深掘りしたり、漫画ゴールデンカムイによってアイヌの暮らしに興味を持って調べたりした結果、自然生態系と、その人間社会との相互作用に興味が湧き始めた。
アイヌは鮭が戻ってくる川を重視していたり、野草を獲るときは今後も生えてくるように獲りすぎないようにしていたという。トリカブトの毒についても知っていて、利用していた。
大学生のころは、山には多くの生物がいること・人間社会との関わりがあったことを知識としては知っていながら、どこか山全体を「無生物」的に捉えて、ある意味で、建造物のように登ってしまっていたと思う。
スリル・景色・達成感を求めて利用する建造物。それはもはや遊園地で乗る「アトラクション」に近いものであった。
今では、そういったアトラクションとしての山より、生態系としての山を登りたい。同じ山を登るにしても、である。
どういうことかというと、気になる植物や鳥を同定しながら歩いたり、渓流釣りをしながら沢を登ったりしたいのだ。
そうすることで、物理的構造物としての楽しみだけでなく、生物的な楽しみも増える。人間の歴史も絡んでいればなお面白いだろう。
日本百名山に入るような険しい山になれば、生物の同定を逐一している時間はない。しかし、そういった険しい山は登頂という目的へのウェイトを大きくすれば良いだけで、自然を見る心そのものは常に数パーセントでも持っておきたいのである。
先人たちはにとっては、自然が食べ物でもあり、畏れる対象でもあったので、彼らはそうやって自然を見ながら山に登ってきたと思うのだ。
「山に登りたい」
その文字列は大学時代と同じだが、意味が自分の中で変わってきている。今後の登山が楽しみだ。