先日、大学院の後輩の女の子が薦めてきたとある本を読んだ。
書名は「82年生まれ、キム・ジヨン」。
数年前に韓国で話題となった本である。
自分が読む前から知り合いが何人か既に読んでいたので、少し内容は聞いていた。
主に男女平等に関する問題についてらしい。
読まずともだいたい内容が想像ついた(つもりだった)ので、最初はあまり読む気になれなかった。
自分は個人としては男女のことをフラットに考えていた自信があったので、個人レベルでは男女は平等だったし、
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こんにちは。
2021年、自分の実力を知らずに年間50冊の本を読むことを目標にしていましたが、到底及びませんでした(笑)
しかし、目標を高くしていたおかげで、意識して本を読むようになり、24冊(約2週に1冊)の本を読むことができました。
目標に到達できなかった理由は2つあると思います。
1つは、読んだことを人に説明できるようにしたくて、随時メモを取ったりしていたことです。
これまでは、読んで印象的だったことでも、すぐに忘れてしまい、「印象的だった」印象しか残っておらず、人に説明できるレベルには達していませんでした。
それでは読書で学んだ意味がないなと、どうせ読むなら、得た知識を今後の人生に生かしたいなと思ったので、Google documentにメモを取ることにしました。
その結果、より内容が頭に残っているし、そのメモを見ればだいたい思い出すことができますが、今までより読むペースは遅くなってしまいました(笑)
もう1つは、難しい本にチャレンジし始めたということです。
「○○のやり方」、「できる人は○○をしている」、といった具合のタイトルに代表される、いわゆる「自己啓発本」もこれまでは読んできたのですが、だいたいの自己啓発本の内容は似てきていると感じたし、YouTubeでの解説も多くなってきたので、あまり読まなくなりました。
それよりも、興味がある分野の新書を主に読むことで、その分野の最先端のことや歴史について学ぶことを意識しました。
特に、研究者の方が書いた本は、文章の根拠が出版物ベースとなっていることが多いので、ふだん研究でそうやって論理を組み立てていく大学院生の自分としては、納得しやすいものでした。
ビジネス本では、ビジネスで成功した人の主観やフィーリングに頼った根拠で文章が進められていくことがあるので、ついていけないんですよね、、、
そうこうしているうちに難しい本を読むようになって、ペースも遅くなってしまいました。
前置きが長くなってしまいましたね。
それでは、本を紹介していきます。
自分の満足度を、5段階評価で星で表すことにします。
「☆☆☆★★」これは星3つという意味です。
※書評は氷山の一角ではありますが、ネタバレになるかもしれません。ご承知おきください。
満足度☆☆☆★★
【書評】食べるのと同じくらい、生きていることを表すと言っても過言ではない「ウンコ」。ウンコはかつて肥料としても使用され、人→土→作物→人の循環において、欠かせない存在だったが、都市一極集中化・工業化していく過程で、自分事から他人事になり、処理に困る要らないもの「汚物」のイメージがついていった。しかし、今後サステイナブルな生活を追い求めていくうえで、この栄養分のかたまりであるウンコから目を背けず、適切な方法で地球に返す必要があると感じた。
【書評】我々の目に見えない領域で自然の大部分を構成しているのは微生物である。歴史的に、疫病などを媒介する微生物の悪い面が先に有名となり、我々は抗生物質や農薬などでそれを抑え込むことを目指したが、結果的にアレルギーの増加や肥沃度の低下を招いてしまった。微生物の役割を理解し、彼らが良い働きをする環境を整えられれば、土も内臓も健康に保てるだろう。けっこう長くて読み応えがある。
満足度☆☆☆★★
【書評】地球環境および個人の生体は、動的平衡(循環によるバランスの維持)によって保たれている。ファストな生活様式はそういった平衡を歪め、その歪みの揺り戻しが環境問題などとして降りかかっている。筆者はロハス=Lifestyles of Health and Sustainabilityを掲げ、自分の幸福のために食べるものは環境のどの部分に負担をかけて作られているのか、など思考を巡らせ、環境や自分の体の平衡を歪まさない生活を進めていくといった考え方がまとめられている。どうしても主観が入りそうなテーマだが、「生物と無生物のあいだ」の著者で生物学者の福岡伸一さんが、世界の研究や報告ベースで展開する論理は面白かった。
満足度☆☆☆☆★
【書評】地球の歴史上、持続的に繫栄した文明はどのようなものであったかを、進化や宇宙の理論まで用いて展開する壮大なストーリー。ほかの生物を圧倒した恐竜は絶滅したが、お互いに助け合ってきた昆虫と植物は持続的に栄えることができたのはなぜか?これらをふまえ、人類が今後持続的に発展するための道しるべを考えていっている。絶対的な事実というよりは、事実を組み合わせて考察した筆者の「考え方」に近いと思うのでそこは注意。これもかなり長くて読み応えがある一冊。
満足度☆☆☆☆☆
【書評】形質が環境に適応したものだけが生き残るとするこれまでの進化論とは異なり、ヒトの進化においては文化的学習能力の進化が重要な役割を担っているという、興味深い話。文化のなかには、個体自身には短期的には利益にならないものも含まれているが、社会規範によって恥の意識や違反者を罰する行為が進化し、文化を守らせることで、長期的な繁栄を築いてきた個体たちが生き残っている。「香辛料は辛いから個体にとってメリットはない」が、親や周りの人が食べているから食べる、そういった「文化を守れること」自体が、無意識に腐った食べ物を食べないといった生存戦略につながっていったことなど、具体例を交えた研究結果で示してくれるのがとてもよかった。
満足度☆☆☆☆★
【書評】相対性理論を、「相対性理論」という言葉を使わずに、16歳の少年の成長とともにいつの間にか説明している小説。数式はほとんど出てこず、僕のような物理学から離れてしまった人でも、理解できる(たぶん)。聞いたことはあるけど意味は知らない相対性理論は、実は我々が使うGPSなどにも使われている。この宇宙に生まれたなら、宇宙の根幹を支えるこの理論の概要をどうせなら知っておきたいという人におすすめ。
満足度☆☆☆☆★
【書評】「なぜ原子は小さいのか」という疑問は、なぜ我々の体は原子よりも圧倒的に大きい必要があったかと読みかえられる。前半はこの疑問を、原子の運動の無秩序さをヒントに考える。後半では、体の設計図である遺伝子が驚くほど少数の原子によって構成されていることに着目し、生命の進化について考えている。生物学・化学・物理学の基礎知識がないとこの本はかなり難しいと思うが、ワトソンとクリックがDNAが遺伝子であることを示す前に、物理学者のシュレーディンガーが物理で生命の謎を解き明かそうとした、示唆に富む名著だと思う。でもめちゃくちゃ難解です。物好きにはおすすめ。
満足度☆☆☆☆★
【書評】筆者が主張していたのは、日本で普及していない「データを用いた教育政策提案」の必要性。子ども手当や少人数授業が、教育の収益率(ある教育を1年追加した場合の、教育を受けた子どもの将来の収入がどれだけ高くなるか)が低い政策だということが、他国の教育研究をもとにわかっているのにも関わらず、補助金や生徒一人に割く時間が学力を向上させるという「イメージにこだわった教育」が日本では行われている。その他、個別の家庭で、子どもの頑張りに対してご褒美をあげるべきかなど、データで教育法を考えていきたい人にはおすすめの一冊。
満足度☆☆☆☆☆
【書評】資本は環境問題を考慮しない。「持続可能な開発」が掲げられているが、資本主義による経済成長を目指す限り、技術的・空間的・時間的にその負の遺産(資源の枯渇・貧困)は外部へと転嫁され(不可視化され)、気候変動および格差の拡大は止まらない。現在の二酸化炭素のほとんどは、先進国の富裕層が豊かな生活を続けるために排出されている。先進国に住んでいる自分たちが目をふさぎたくなるような現実を、データを交えながら議論してくれる一冊。「じゃあどうすればいいの?」となるが、そうなる人が増えることがまず第一歩なのかもしれない。
満足度☆☆☆☆★
【書評】一般的な経済学では、すべての人間は自分にとっての効用が最大となるように行動すると仮定している。すなわち人間は合理的な行動をとると仮定されている。しかし、実際の世界では人間は合理的には行動しない。ただ、この不合理さには実験で示されるような規則性があり、行動経済学はその規則性(人間の不合理さ)を解明する学問だ。自分の不合理さを認め、後悔しない経済活動を送るための理論を学ぶきっかけになるかもしれない一冊。
満足度☆☆☆☆☆
【書評】都市部において、お金を稼がないと生きていけないというのは事実であるが、それは都市部では食料やエネルギーを外部から買うしかないからである。それに対して里山では自分や仲間が作った農産物があり、薪を使うことで熱も作れ、林業とコラボすれば木質バイオマス発電で電気も得ることができる。すなわちやり方次第で食料とエネルギーの大部分を自分たちの管理下におけるということだ。「人新世の『資本論』」を読んで、じゃあどうすればいいの?と感じた自分だが、ここに一つの段階的な解決策があるのではないかと感じた。
満足度☆☆☆☆★
【書評】環境問題に興味を持ち、それを起こしてきた経済システムに興味を持った結果、そのシステムを作ってきた思想や宗教にたどり着いた。古代から「資本主義」自体は存在したが、人はいつから、「自分の生活に必要なぶんより金を稼ごうとする」ようになったのか。筆者は、資本主義の精神はむしろ、中世ヨーロッパの、営利だけを目的とした行動を倫理的に規制し、神への信仰を絶対視した地域から生まれたという逆説的な理論を展開する。これ、もともとドイツ語の論文で、一般向けに書かれてないのでめちゃくちゃ難解でハードル高いので注意です笑。読めるもんなら読んでみてください。
満足度☆☆☆★★
【書評】世界史を学ぶことで、現在の諸国がなぜ今の姿になったのかを理解することができる。今後、小さな組織としてどう動くか、国としてどう動くかを考える上で、歴史をただ記憶するのではなく、その当事者の思惑や地理的条件といった「構造」を把握しておくことで、最適な選択につながると感じた。※マンガです。
満足度☆☆☆★★
【書評】人々が目の前で飢えているという修羅場を見てきた著者の中村哲さんは、日本に一時帰国した際に、不幸そうな顔をしている日本人を見て、「こんなに物に溢れていて家族にいつでも会えるのに、何が不満でこんなに不幸そうな顔をしているのだろう」と思ってしまったらしい。正直、自分は日本に生まれて、勉強もスポーツもやりたいだけできて、大学院まで行かせてもらって、かなり環境に恵まれていると思う。傲慢かもしれないが、この環境で学んだことや得たことで、何か世界の平和に足りない部分を補うことができたらいいなと思う。そうすることが、育つ環境に恵まれた者の使命なのかもしれないなと、この本を読んで強く感じた。
満足度☆☆☆★★
【書評】シンガポールがイギリスや日本によって支配される時代を経て独立し、多民族の都市国家を築くまでの軌跡が書かれていた。独立直後のすぐに情勢が変わるような状況では、困難を頭で考え予想するというより、他の国の成功や失敗から学び、やってみてうまくいったことを採用するということを繰り返すことが大事だったようだ。それを実現するには、信頼できて理想をともにし、時には反対意見を述べてくれる部下が必要不可欠だったと述べられている。人口規模などは違うが、大国と深い関係を持つ、資源のない国として、日本との共通点も多く、学ぶことがあるかもしれない。札幌市中央図書館で、予約8人待ちとかで、上巻は13人待ちだったので先に下巻を読むことになりました笑。
満足度☆☆☆★★
【書評】インターネット検索すれば、する方法(what)はすぐにわかる時代。そんな今こそ、なぜそれをするのか(why)を考えられる人が、深く汎用性の高い「考え方」を得られるのだと感じた。WhyなきWhat病、すなわち方法だけが先行し、なぜかわからずやっている状態だと、本質を見失うことがある。行うことが本質に対する答えになっているのかを、常に考えながら生きていきたいと考えさせられる一冊。
満足度☆☆★★★
【書評】人間は進化の過程で、現象が起きた際の因果関係を瞬時に予測することで、生命を維持する能力を得てきた。しかし、複雑に絡みあった現代社会の多くの出来事は、ランダム性やカオスがもたらす「予測できない事象」であり、そこにあるのは特定の因果関係ではなく、結果の蓄積から得られる確率だけである。このような不確実性を持つ世界で生きていくうえで重要なのは、正確に予測することよりも、予測が外れた時(外れる前から)どう対処するかである。というお話。
満足度☆☆☆☆★
【書評】現代人が抱える悩みは、ほとんど哲学者が一度は考えているのではないかと思う。答えのない問題だらけの生活で、希望をもたらすのは、行動の1つ1つに哲学を持つことなのかもしれない。
満足度☆☆★★★
【書評】プレゼンの目的は、「相手に伝えること」ではなく、「相手を動かすこと」である。そのプレゼンによって相手に何をさせたいのかを決め、それをさせるために、スライド作りや話し方を工夫して「視線誘導」によって見てもらいたい箇所にきちんと注目させ、相手にしてほしい行動を提示していく。といった、「視線」に焦点を絞ってプレゼンを議論する一冊。
満足度☆☆☆★★
【書評】政治では正解がわからない(後でわかる)ような問題に対して判断をしなければならない時がある。その時にリーダーにとって重要なのは、判断に対して部下や国民に納得してもらうことだ。しかし、納得してもらうために実体的な正義を求めていると迅速な判断ができず、手遅れになることがある。そこで、判断のプロセスに正当性を保証する「手続的正義」が決断の力になる。このプロセスの正当性の考え方は、全数検査をできない食品業界において、製造過程の安全性を保証するHACCPに似ているなと思った。
満足度☆☆☆★★
【書評】地球以外の文明との接触は、地球文明を助ける希望となるか、絶滅へと追いやるトリガーとなるか。個人的には、この宇宙が本当に学校で習ったように広大なら、地球のような惑星は他にも存在するはずで、地球以外にも知的生命体も存在すると思っている。その知性が我々の科学(3次元+時間、光の速さで動くものはまだ作れていない等)を圧倒的に凌駕している場合、何が起こるのだろうか、ということを考えさせられる小説だった。微粒子のレベルでは、地球外知性による地球への侵略は、もう始まっているのかもしれない。その場合はもうどうしようもない気がするけどね😅
満足度☆☆☆★★
【書評】このマスカレードシリーズは、人間の根源的な欲求と理性的な駆け引きを絡めるストーリーになっている印象。客が最高の体験をできるようにもてなす、ホテルという特殊な環境ならではのトリックが非常に面白かった。
満足度☆☆☆★★
【書評】300年続いた鎖国のなか、突然黒船が来港した当時の日本人の心境を想像すると、やっぱり恐ろしいなと思う。今だったら、火星から宇宙船が来るようなものだろうか。そんな激動の新時代には、旧体制に縛られない、大胆かつ冷静な竜馬のような人物が不可欠だったのだと思う。当時、形式化されてしまっていた武士道をただ守るのではなく、大小の社会をより良い方向に導くための自身の道理にかなった「自分の中での武士道」を持っていた竜馬から、大きなことをするにはどのようなマインドでいるべきかということが学べると感じた。幕府が絶対的存在で、反抗すれば命も危ない時代に、「より良い日本」を作るために幕府を倒そうと立ち上がった志士たちから、現代の我々にはないハングリー精神を感じる。竜馬が一生家族や藩の友人に会えない覚悟で脱藩(当時は重罪)し、国を動かすために旅立ったのが28歳。当時とは平均寿命が違うとはいえ、ほぼ自分と同世代の竜馬のような熱い気持ちを持って日々過ごせてるかと、自分に言い聞かせたい。
書くのめっちゃ疲れました笑
今年も、自分も皆さんも良い本に出合えるように祈っております。
ではまた!
最後に振り返る用の目次です。↓
※この記事は、読書から得たものもあるので一応、読書録に入れましたが、読書の内容とはかなり離れたほぼ僕の思考です笑
こんちは。
いつもオオブログ!を読んでいただきありがとうございます。
今日は、前から思いついてはいた考え方なんですけど、なかなか実行に移せてない気がするので、忘れないように、このタイトルの「理想の自分と約束して会いに行く」という話をしたいなと思います。
これを見ると、とうとう、ひがっさん頭いってもうたんじゃないかって思いますかね笑
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こんにちは。
今日も読書録を書いていきます。
今日も前回と同じく「人生の教養が身につく名言集」にて感じたことについてです。
ですが、今から書くことはこの本を読まなくても、人生の岐路に立った時に1度ぐらいは感じたことがある人は多いのではないでしょうか。
それは、人生は選択の連続だということ。
どこの会社に入るかとか、どこの高校に行くかとか、何の部活に入るかとか、そこそこ大きな選択から、
今日の晩御飯は何にするかとか、ジュースを買うかなどの比較的小さな選択まで、毎日何かしらの選択をしながら我々は生きているんですね。
生きている限り、すなわち過去から未来への時間の流れの中に身を置いている限り(置いていない方がいたら教えてください笑)、今ここで下した選択が反映された人生を生きていくということになります。
このように選択しなければいけないので、納得のいく結果が得られなかったとき、
「ああ、~だったら○○だったのに」「~れば○○だったはずだ」
このような感情に陥ってしまうことは人間誰でもたまにはありますよね。
僕は高校野球をやっていましたが、最後の夏の大会で、1-3で負けて引退となってしまった試合で、6回表にツーアウト1,2塁のチャンスで打席がまわってきて打てなかったことを未だに悔しがっています。
あれからもう4年以上経ちましたが、何度もその場面が脳裏に浮かんで、「打って点が入っていたバージョンの世界」なんかを想像してしまいます。
それほど執着があったことなので、思い出すのは当然かもしれませんし、悪いことではないと思うのですが、結局、いくら悔しがっても過去は変わりません。
AかBの選択肢があるときにAという選択をしたならば、Bを選択した場合の人生は存在しません。
「打って点が入っていたバージョンの世界」は「あり得ない世界」なのです。
シェイクスピアの「オセロー」の中にこんな一節があります。
「過ぎてかえらぬ不幸を悔やむのは、さらに不幸を招く近道だ」
この一節を用いて著者は、過去を悔やんだところで、気が滅入るだけだから貴重な時間が無駄になっていくと述べられています。
この意見にある程度共感はできるのですが、その悔しさをばねに変えられるのなら、必ずしも後悔が不幸を招くとは限らないのではないのでしょうか。
僕は先ほどの高校球児時代の経験は、「ここで打つにはまだ気持ちや努力が足りていない。お前はまだまだやれる」という神様からのメッセージだと思うようにしています。
後悔するのはいいと思います。重要なのはウジウジ後悔しないこと。
後悔をプラスに変えることができれば、失敗が「大事な経験」へと変わります。
これからの人生でやり返してやろう。
この高校最後の試合のシーンが頭に浮かぶたびに思うことです。
もう一つ、人生を生きていくうえで忘れてはいけないと思うのは、選ぶ選択肢があれば、捨てる選択肢もあるということ。
大学に入ると、時間もありますし、可能性が無限大のような気がして(もちろん無限大なのですけど)、「あれもできる、これもできる」という感覚でした。
しかし、大きな夢を見て何かを始めようとしても、うまくいかないことが多々あります。
僕は1年ほど前に漠然とプログラミングができたらいいなと思って始めようとしましたが、あまり続きませんでした。
続かなかった理由は単純です。目標があいまいなこと。
目標があいまいだと、今日どのくらいやればいいかや今週何をすればいいかがわからず、さらにどこに向かっているのかがわからないので、どれだけプログラミングを上達させたい気持ちがあってもなんとなく手につきません。
そのような思いつきでやることは一瞬で冷めてしまいます。
僕の話ばかりですがスペイン語にしてもそうです(笑)
僕はサッカーが好きなのでスペインに行ってみたい気持ちがあるのと、南米の自然を見てみたいので漠然と、そこで話されているスペイン語を勉強したいという気持ちがあるのですが、今のところ「行く」という確固たる予定がないので日本で普通に生活している限り全然勉強は捗りません。
やっぱり、必要性にかられないと人はそう簡単には動けないのかもしれません。
もうさっさと南米行きのチケットを取ってしまったほうが絶対勉強しますね(笑)
今は、プログラミングというほどではありませんが、研究で統計解析やゲノムの解析を自分の手で行いたいという目標があるので、そのためにはまずどういったことを覚えないといけないのか、できる人と比べて自分に足りていないものは何かという風に、目標とそれをつなぐ過程のようなものが見えてきています。
その過程のなかにもおそらく小さな目標がたくさんあります。
「このコードは今一番やりたい遺伝子ネットワークの解析に必要だからまず覚えよう」とかです。
そういった小さな目標を達成することの積み重ねが、統計解析やゲノム解析を自分の手で行うという大きな目標へとつながっていくのだと思います。
タイトルや途中にも書きましたが、何かを選ぶときには必ず「捨てる」選択肢もあります。
あれもこれもは選んでいられないのです。
ではどうやってたくさんある「やりたいこと」のなかからやるべきことを見出せるか。
僕は、目標と過程が見えていることを優先すべきではないかと思います。
やりたいことは僕も正直たくさんあります。
自転車旅、海外旅行、スポーツ観戦、登山、ランニング、料理、英会話、スペイン語、読書、カメラ、ブログ、映画鑑賞、筋トレ、研究、プログラミングなどなど。。。
これらをすべて全力でやり切ることができるでしょうか。
おそろくできません。
すべてに「手をつける」ことはできると思いますが、それではほとんど何も身につきません。
すべてが中途半端となっては何も前に進まないのです。
もしそれで他の人より抜きん出たいと思っているのであれば、「手をつけた」程度の人は世界にごまんといるので、能力としてはたいしたものにはなりません。
10個に10の力を注力していたら1個に1の力しか捧げることができませんが、その力を選んだ2個に注力すれば1個につき5の力を捧げることができます。
という風にやることをしぼっていき、その選んだものを一つ一つ洗練したいものです。
他は趣味程度に気分転換としてやれたらいいですね。
目標と過程が見えるには、そのことについて深く考えなければいけません。
深く考えるのは、そのことが自分にとって重要だと感じているということです。
重要だと感じているということは、人生において大きなウエイトを占めている、そのことが好きだ、一生かけてもやっていきたい、そういう存在であるということです。
そこまで好きなことなら、もうすでに目標などを決めていることでしょう。
逆に、そこまでの熱がないものは、捨てる。
やるとしても気分転換程度にやったほうがいいということだと思います。
タイトルで、年をとることは可能性を捨てていくことだと書きましたが、逆に言えば、
情熱を向けることができる、深く考えられることに絞っていくことと言えるのかもしれません
年をとると自分の力で生きていかなければなりません(周りに助けてもらうのもその人の力として)。
そこで、何の能力で生きていくか。
それを考えるうえで、無駄なものは捨てていき、いくつかの情熱をもてるものに集中し、それらを研ぎ澄ましていけたらいいですね。
情熱とかについてまた書けたらなあ、と思います。
今回はこのへんで。
こんにちは。
いきなりですがこれからは時々、読書をして感じたことをできる限り自分の言葉で残していきたいと思います。
理由は前回の投稿で詳しく述べています。
ここでちゃんと皆さんに言っておきたい(し勘違いしないように自分にも言いたい)のは、これは本の紹介ではないということ。
ある本をおすすめするものでもありません。
本当にそこで感じたことを書いていきたいと思うので、もしかすると本自体の内容からものすごく離れたことを書くかもしれもせん。
なので、大学生になっても勝手に読書感想文やってる変なやつ程度の軽いノリで読んでいただけたらと思います。
でも昔書いた読書感想文よりはパワーアップさせて、本の内容を自分の生活に落とし込んだりした文章にしたいです。
「~だった。」「~と思った。」だけでは本当に小学生の読書感想文になっちゃいますので(笑)
というわけで、読書録を始めていきたいと思います。
記念すべき読書録の第1回は「教養」について。
教養という言葉は普段の生活でも時々耳にしますし、大学生は1年目に「一般教養」みたいなくくりの授業を受けると思います。
また、「教養はあったほうがいい」「教養がない」などのよく聞く会話から推測するに、一般的にも教養は身につけるべきものとして認知されている気がします。
今回、読んだ本のタイトルは、
「人生の教養が身につく名言集---『図太く』『賢く』『面白く』」
最初にタイトルを見た時の僕の印象は、なんか、うさんくさい…
僕の初めの勝手な想像では、名言がずらーっと羅列されて、単調で読むのに飽きるのではないかというものでした。
ただ、実を言うと僕はけっこう名言と呼ばれる部類のものが好きです。
偉人やスポーツ選手など、世界に大きなものを残している人たちは数々の修羅場をくぐり抜けてきているので、考えが洗練されているし、説得力があります。
この本はAmazonのPrime Readingの読み放題で読めたので、もし飽きたら読むのを止めようという気持ちで読み始めました。
著者は出口治明さん。
大手保険会社に長く勤め、還暦を迎えてからライフネット生命を起業した方です。
この情報だけでも興味深いですが、本を読み進めて思ったのは、出口さん自身、本当に本が好きなのだなということ。
出口さんの圧倒的な読書量に由来するであろう故事のエピソードなどがたくさん出てきて次第に引きこまれていきました。
全体を通して、出口さんの、本から学ぶことすなわち偉人の行動などから学び、自分でそれをかみ砕き、アウトプットすることで、より人生が豊かになるというメッセージが伝わってきました。
出口さんも述べられていますが、僕も、「教養」は、人生をワクワクするものにさせてくれるものだと思います。
二十歳を過ぎたばかりの僕が言うのもなんですが、「教養」によって人生の楽しみは増えると思います。
例えばヨーロッパを旅行するにしても、建造物の建てられた背景やその土地の歴史などを知っているのといないのとでは、楽しめる度合いが違ってくるでしょう。
この建物とあの建物は同じ時代に建てられたから似ているだとか、違う国のあの建物を模倣しているなどと、何も知らない人が素通りするところで新たな発見が得られるはずです。
このように人生を楽しむだけでなく、対人関係や将来についてなど、人間誰しも生きていれば何かに悩むことはあると思いますが、これも知識の引き出しが多いほど対処方法をすぐに思いつくことができたり、そもそも悩むほどのことでもないという判断を下しやすくなるかもしれません。
出口さんは知識の吸収の仕方について、「縦横思考」という言葉を用いられています。
縦とは時間軸、すなわち歴史のこと。
古典や歴史の本から昔の人はどのようなことを考え、どのような生き方をしていたのかを知ることで、自分の考え方や生き方を顧みて、そこに反映させていく。
これが縦の考え方。
つづいて横とは空間軸、すなわち同じ時間軸において異なる環境にいる人や物のこと。
世界には日本とは全然違う文化や風習があります。そこまで大きなものでなくとも、気候や考え方など数えるときりがないぐらい違いがあります。
どちらが良いとか悪いとかではなく、なにが原因となって違うのかなどを知ったり、比較することで、より知識に厚みが出ます。
これが横の考え方です。
今から書くことはもう言われ過ぎていて刺激的ではないかもしれませんが、このようにして得た知識はアウトプットすることで自分のものになります。
アウトプットするためには自分の頭でそのことについてよく考えて整理しておかないといけない。
これを言うと僕がこのブログを始めたのもかなりこの本に影響を受けてのことということがわかるのではないでしょうか(笑)
実際、この本を読む前にとある本を読んでいて、その本について友人に説明しようとしましたが、肝心なところを思い出せないという経験をしました。
その後にこの本を読んだときに、「そうか、ただ本を読んだだけでは意味がない。そこで学んだことを使えないと、せっかく読んで感動したことが無駄になる。」と思い、こうやって学んだことをまとめる決意をしました。
ならば、自分でまとめるだけでなく発信したほうが、人に伝えようとするぶん、よりそのことについて深く考えられるし、もしそれが読んでいる方に楽しんでもらえるものならなお良いなと。
これが、僕が自分で考えた僕なりのアウトプットです。
がんばります(笑)
そうやって得た知識で人生を楽しんでいきます。
では、そうして得た知識で楽しむために、何かを評価する、判断を下すときに重要となってくるのが、「国語」ではなく「算数」で判断するということ。
たぶんこれを見ただけでは意味が分かりませんし、国語が好きな人は怒るかもしれませんが、説明していきます。
これに関して例を自分で考えようとしましたが、本文中の例がとてもよく、これよりシンプルでわかりやすい例を思いつかなかったので本文と同じ例で説明します。
ネタバレが嫌な人は読まないでください(笑)
「国語」で考えるとは、「清水の舞台から飛び降りてみない?」と言われたときに、「高いところから飛び降りるのは危険だからやめておこう」というように、言葉の上っ面だけで考えてしまうことです。
これでは清水の舞台から飛び降りるという行為がどのくらい危険なのかがあやふやで、ぼんやりとしたリスクに対して勝手に恐れているという状態です。本当に危険なのかどうかすらわかりません。
これに対し、「2メートルしか高さがないから大丈夫だ」「8メートルもあるから怪我を負う可能性が高い」などというように数字をもとに考える、すなわち「算数」で考えることで適切な判断を下しやすくなります。
「算数」で考えることで判断基準ができ、飛び降りることのぼんやりとしたリスクを、どちらが適切か(得か)のコストに置き換えることができます。
たとえば、飛んだら5万円あげるよ!などといわれたときです。
※ただの例なので絶対に真似しないでください
僕個人としても、大学生として研究室に所属しているので、研究の世界でも「算数」で考えることは大事なのではないかと思います。
なんとなくの感覚ではなく、きちんと数値をもとに判断を下し、より正確な研究や情報収集を行っていきたいと再認識することができました。
偉人、歴史上の人物の言動や行動から学び、自らもそれらを参考にして行動を起こしてみる。
すると、数々の人物が我々の人生を面白くするヒントを与えてくれていることに気づきます。
ルネサンス期のフランスで、プラトンの思想を研究・発展させたベルナール・ド・シャルトルという人物が次のような言葉を残しています。
「巨人の肩の上に乗っているから、遠くを見ることができる」
ゼロから豊かな人生を作り出すことは簡単なことではありません。
1人の人間の力で見える景色はたかがしれています。
そんなとき、巨人(歴史上や現代の偉人)の肩の上に立つ(知識や生き方、考え方を踏み台にする)ことで、今まで見たことのない新たな景色が見えてくるのだと思います。
ちなみに、「巨人の肩の上に立つ」という表現、どこかで見たことある人いませんか?
実はこれ、論文を検索するサイトであるGoogle Scholarに書いてあるんですよね(笑)
Googleもこのベルナールの言葉に共感しているのかもしれません。
以上、教養についてでした。
まとめると、
です。
いつまでも、いくら経験を積んでも、新しいことを学ぶ姿勢だけは忘れないようにこれから過ごしていきたいです。