こんにちは。
年末ですね。(入りが毎回へたくそすぎる笑)
僕にとって2019年は大きな年でした。
今年はまず所属する研究室が変わって研究環境が変わり、
今数えたのですが、ペルー、ボリビア、チリ、デンマーク、ケニア、マラウイ、ザンビアの7カ国へと、バックパック、実習、研究といういろいろな形で行って、とても刺激のある生活を送れたなと思います。
そんな楽しい大学院生活のなか、こんな言葉が聞こえてくる時期でもあります。
就活
結論から言うと、 僕はいまだに現状の、在学中から採用試験をする制度に疑問を持っています。(以前、大学生および大学院生の就活に関する意見を述べた記事↓)
世の中には働いている人も、懸命に就活している人もいるなかで、いつまでもこのようなことを言っていてお前はどうするんだと、早くおとなしく就活をして社会人になってから言え。とか、どうせいつまでも親の金で遊んでるだけだろ。
そんな意見もあると思います。
(最近、給料ももらってないのにやりたいことがありすぎて朝の9時から夜の10時ぐらいまで研究してるんですけどね。自主的に。効率が悪いだけかもしれませんが笑)
さらに、こんなことを書いていると、「あいつ、就活し過ぎて病んでるんじゃないか」と思われるかもしれないですが、
実は僕は今は大学の研究室での研究にかなり集中していて就活はほとんどしておらず
(というかもし企業への就活を本気でするのであれば平日に開催されるインターンなどに参加して企業の雰囲気を知ったり選考されたりするべき?なので、毎日研究をして進捗させるような研究を行っている場合、研究のペースを下げずに就活と研究を両立することはほぼ不可能)、
そのような学生から見た現在の日本の就活制度の良くないと思う点をわりと冷静に述べているつもりです。
就活をやりたくないわけじゃなくて、やれるような環境が整っているかにどうしても疑問を呈してしまいます。
権力も影響力もないですが笑。
正直それが問題なんですよね笑。俺が言ってもしゃーないって言う笑。
経団連の偉い人とかにならないと、実際に直接的には変えることは難しいと思います。
でも今回はこの権力の無いような僕たちだからこそ声を上げていくべきだという話をしたいです。
声が届かないからといってあきらめていていいのか。
SNSなど情報の伝達が発達した現在なら、ひょっとしたら偉い人に届くんじゃないか。
こんなほとんど誰も見てないようなブログ(見てくださっている方、ありがとうございます涙)でも、僕が主張をやめないのは、以下の理由があるからです。
その理由はこちら
- 制度を変えれる側に変える気がなく、変える気がある側に変える権力がないというジレンマ
- 合格するにはお利口でないといけないので一向に受験生側は強く出れないから変わるものも変わらない
- 学業を軽視し過ぎることによる日本の将来への不安
日本の将来を心配する前に自分の心配をしろという感じだと思いますが、この就活制度の影響は個人的な領域にとどまらないと僕は考えていて、
今僕が勝手に作った言葉ですが、近年の日本は「大学の空洞化」が進んでいってると思うんです。
「君が在学中に就活したくないならしなければいい」ということで僕だけがやらないっていうだけの話では済まないと思っているわけです。
その理由については後程述べます。
では、1つずついきましょうか。
- 制度を変えれる側に変える気がなく、変える気がある側に変える権力がないというジレンマ
(※これは制度について真剣に考えてくださっている一部の方々にはものすごく失礼な言い方というのは承知してます。)
どうやってこの感覚を理解してもらえるか難しいですが、この例はどうでしょう?
センター試験(今は「共通テスト」って呼ぶらしい)が最近、記述でやるだとか民間の英語の試験を使うとか言われつつ、白紙になりましたよね。
あれを見て、みなさん正直どう思いました?
はっきり言って、「今の高校生めっちゃ振り回されててかわいそ~」
ぐらいじゃないでしょうか。
彼ら彼女らにとっては、人生の一つの選択を左右する重要なテストだというにも関らず、
もうその関門を乗り越えた多くの一般的な大人にとって、「意地でも今の高校生にとって良いテストにしたい」という気迫は、正直言って、ほぼ無いと思います。
高校教師や予備校講師、受験生の家族でもない限り、自分に関係することではないので、そこまで当事者意識を持っていられるかというと、なかなか持てないというのが、人間の性だと思います。
でも高校生よりもテストを変える力があるのはそういった大人なんです。
高校生に比べて、選挙もできるし、社会のことを知ってるし、文部科学省にも頑張れば入れる。
高校生は現状では、与えられたものに従うのみ。。。。
これと同じことが就活生と企業の関係にも言えると思っていて(一部の人に失礼なことは重々承知)、
もう就職した人は、就活生の境遇にさほど興味がないというのがあると思います。
僕たちが、高校生の共通テストを自分から率先していいものにしていこうというモチベーションがそこまで湧かないのと同じように。
だからこそ、当事者である僕たちが、おかしいと思うならおかしいと言っていかなければならない。
逆に僕たちが言わなければ大人は誰も言い始めない。そう思います。
そりゃ、言わなければ何も変わらないですね。
変えるなら僕たちがスタートです。
これが、若者が声を上げるべきだと思う理由の一つ目でした。
- 合格するにはお利口でないといけないので一向に受験生側は強く出れないから変わるものも変わらない
2つ目はこれです。1つ目とちょっと似てはいるんですけど、
本来あってはならないのかもしれませんが、やはり募集する側と応募する側で、一種の強者と弱者の関係ができてしまうと思います。
企業側が要求してくることにはとりあえず応えておかないと、よっぽど天才でもない限り、合格するのは難しいでしょう。
例えば社会の慣習に従わずに在学中に就活を全くせずにいると、ストレートでは企業に入れず、おそらく一年か半年は遅れるのではないかと思います。
それが嫌な人は、在学中に就活を始めるしかない。
すなわち、慣習に不満を言っていたら「普通」には入社できない可能性があるので、不満があまり言われず、
その結果として、何も問題がないかのように進んでしまい、制度の見直しが行われる機会がない、というのが現状だと思います(そもそも問題視しているのが僕だけだったら恥ずかしいけども笑)。
僕たちが今声を上げても僕たちの学年の就活には間に合わないと思いますが、これも1つ目と同じく、
当事者である僕たちしか言い始める人がいないのであれば、将来がかかっている中でなかなか難しいですが、
出るべき時は強く出るべき
となってくるのかなと思います。
- 学業を軽視し過ぎることによる日本の将来への不安
3つ目の理由です。
いきなりですが、別に企業が早く選考したかったらすればいいと思うんです(なんやねん笑)。
でもその場合、大卒や院卒区分などなくして学業を重視しませんって宣言してほしいのです。
そしたら就活したい人は大学辞めれますし、院とか行かなくてもいい人も出てくると思いますよ。まじで。
詳しくはこっちの記事で述べてます。
学生という身分だが、あえて今の日本の就活に物申す - オオブログ!
正直、研究室的に、研究やる気ない人とか所属してていいんかな?って思います(ブーメラン笑)。
研究やる気ないって途中で気づいた人には3年制のコースか何かを大学に作って卒業させてあげればいいのに、なんて考えることもあります。
実際うちのボスの出身大学のニュージーランドの大学では、上位何パーセントかの成績優秀者が、「卒論研究しないか?」って誘われて、卒論は書ける人にしか書けないらしいです。
他の人は短期コースみたいな感じで卒業していくのだとか。
話が脱線しましたね。(つい熱くなってしまう笑)。
ここでは、本当に学業を軽視する傾向でいいのか?という話をしていこうと思います。
早く選考しているからといって学業を軽視しているとは限らないという意見はあると思いますが、理系の研究室では就活で研究を中断する人がいる以上、本当に企業が学生の研究を優先しているとは言い難いでしょう。
まず、日本の企業は学生の研究内容にあまりにも興味がない気がします。
「大学で何をやっているか」というより、「どういう性格か」に重きを置いている印象です。
もちろん、どういう性格かということもめちゃくちゃ大事です。
チームで動けて、上司の言うことを聞けて、リーダーシップを取れて、という能力が企業に必要なのはわかります。
縦にも横にもつながりを持ち、柔軟に動ける人というのはとても重宝されるし、僕もできればそういう人と一緒に仕事をしたいと思います。
しかし、企業に必要なのは、それだけでしょうか。
専門的な観点から批判できる人、競争力のある技術を持つ人といった人たちもいなければ、企業として上にいけないのではないかと思います。
アメリカや中国ではより専門を重視すると聞きます。
そして日本より大学卒業のハードルが高く、真剣に勉強や研究に取り組まなければいけません。
大学ランキングで東大よりも高い大学に属する優秀な学生が、僕たちより懸命に勉強して、専門性を生かして企業に入ります。
これがいまだにアメリカが衰えず、中国がものすごい勢いで産業を伸ばしている一因なのではないかと、どうしても考えずにはいられないのです。
日本では、卒論や修論を書く前に就活をし、その時期に研究が一段落ついている人は珍しく、それも相まって性格が重視される傾向があるのかなと推測します。
誰がやってもほとんど変わらない業務の場合、性格だけを重視してもいいとは思いますが、
専門的なものの場合、がっつり学生時代に研究をやらせて、入ってくる人の専門家としての質を上げたほうが企業にとって利益になると個人的には思います。
別に中国やアメリカと勝負しなくてもいいですが、日本の産業を競争力の高いものにしていくには、グループディスカッション対策などをさせて全員似通った感じに育てるのではなく、
専門レベルで強みを持っている人材が育つような土壌「も」作っていくべきではないでしょうか。
もう一つ、アカデミックに語れる人が今、必要とされている場所があると思います。
それが、国会などの政治の場です。
原子力発電、環境問題、IR法、などなど、専門的な知識を持って語れる人に引っ張っていってもらわないと、間違えたらもう後戻りはできないような問題が多々あります。
大臣が問題発言をして騒がせるなどが日常茶飯事となっていますが、もう少し議論のレベルを高めていってほしいなと、個人的には感じています。
国民も、18歳からは選挙権があるので、様々な問題を論理的に考え、意見が持てるように、国民全体としてなっていければ、国をより国民にとって本当に良い方向にもっていくことができるでしょう。
国際的にも、グレタさんが積極的にデモなどを行っている気候変動の問題や、遺伝子組み換え作物や有機農業に対する議論は今後の地球の未来を決定づけるうえでとてもホットな話題です。
個人的には、グレタさんのような方は、その気候変動などの分野で大学に進み、最新の研究結果などの根拠を基にした、地に足の着いた議論をしてくれるようになると、面白くなってくるのではないかなと思います。
多くの人が陥ってしまいがちですが、想像や信憑性のない情報だけで議論するのはとても不毛なので。
これは政治に限らず、あらゆる分野で言えることだと思います。
このような観点から、どんな分野でも、最新の知識があり、その知識を関連付けて論理的に意見を述べることができる能力というのは非常に大事です。
その能力を身につけるのにうってつけなのが、大学の卒論や修論を書く時期だと思うのです。
研究では、情報収集から、実際の研究活動まで、正確性と客観性が求められます。
きちんとやればこういったものが身に着くのにもかかわらず、なかなかそこまで待ってくれないというのが、現行の就活制度です。
日本の大学のレベルや学生の学力、そして産業の低下が嘆かれていますが、そうなってしまう仕組みでもあるのではないでしょうか。
大学で身につけておくべきことを考えた時に、今のままで本当に大丈夫なのか、この先、ルールが撤廃してどんどん早い時期から就活する学生が出てくるがそれでいいのか、
再考するときだと思います。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。
最後に一言、
言いたいことがあるなら立ち上がれ若者
ではまた!