若気の至りという言葉がある。
Weblioによると、「若くて無分別であるためにしでかす失敗、恥などを意味する表現。」というものらしい。
こんなブログを書いているのも、また若気の至りなのかもしれないが、今回はこれについて書く。
突然だが、僕は大学2,3年生が日本社会で一番イキってると思う(当時の自分も含め)。
大学に入るような子どもは、なんだかんだ親の言うことを聞いてきた子がほとんどで、中高ではそこまでイキりは発動していなかったわけだが、
大学に入り、お酒も飲みはじめ、1年生はまだ部活やサークルでも下っ端だが、2,3年生になると、自分たちがその団体の中心となり、イキり始める。
学生割引で街ではお得に過ごせて、授業をサボっても誰にも怒られず、サークルのような団体も束ねている自分たちは、どこか最強なんじゃないかという謎の勇気が湧いてくる。皆さんも当時をよく思い出してほしい。
大小はあれど、絶対に今よりイキっていたと思う。
しかし、イキりのピークアウトは突然訪れる。
学部卒なら就活、理系で院進なら研究室配属のときに訪れる。
自分は社会では赤ちゃんのような存在だと思い知らされる。
部活やサークルで自分を形作っていたものは殆ど通用せず、社会に求められることを地道にやらざるを得ない日々がやってくる(諸説あり)。
そうして自分の能力で生きていくためにできることは何なんだろうと、自己を客観的に見つめ、イキりは減っていく。
僕のイキりは色々あったと思うが、とりあえず服装の遍歴を振り返っていきたい。着ている服は、自分のその時のイキり具合を表している(諸説あり)。
1年生の頃は、「普通の大学生」になりたいという気持ちが強かったのか、どこにでもいる大学生のような無難な服を着ていたと思う。ただ、高校の時から持ってた服を着てたので、今思うとダサい。
問題の2,3年生。変な英語のフレーズが入ったTシャツを着始めた。Tシャツで「ちょっとおもろい」と思われたかったのだろうが、今思うと、Tシャツでウケを狙ってること自体がめちゃくちゃおもんない。
トークとか中身で勝負しろよ。と、当時の僕に言いたい。
全体的に自分で考えた奇抜なファッションをするならまだしも、
Tシャツにプリントされた文字は、他人が作った面白さで、お前の面白さではないよ、とも言いたい。
そして、社会の厳しさを知る(研究室に配属される)4年生。
大人にならないとやばいと思ったのか、少しブランドものを着始める。
とりあえずノースフェイスとかアウトドア系のロゴが入ったパーカーを着て、悪いものは着てませんよという、アピールをする。迷彩柄のG-SHOCKもつけ始める。
広く認知されてるもので一定の評価を得るムーブ。
そして、大学院生。
逆にユニクロ、逆にGU。主張がなくてシンプルなほうがかっこいいなと感じ始める。
以上が僕の若気の至り的、服装の遍歴である。
そしておそらく今の服装も、将来的に自分は批判するのだろう。
「若気の至り」
あまり見たくはない言葉だが、その時の自分は何かアピールしたがってたんじゃないか、気持ちを表現しようとしてたんじゃないか、そんな気にさせてくれる言葉だ。
「若気の至り」がもしなかったら、そんな人生はつまらなかったなと思う。
みんなの「若気の至り」に乾杯。
ではまた。